NEVERTHELESS
秋山画廊
東京神田
1995  7/ 5~15

中央には四面の壁が立てられ、エリザベス.キューブラー.ロス著「死ぬ瞬間」から引用されたテキストがそれぞれに張り付けられている。その両側から、スライドプロジェクターによって自然を連想させる映像と、人工を連想させる映像が壁面に向けて投影されている。鑑賞者は壁面の間を蛇行しながら、壁面に仕切られた両側の空間を行き来する。

Nevertheless
5 -15 July 1995 at Akiyama gallery
The four walls are stood on the center and the texts quoted from ‘the moment of death’ by Elizabeth Cublar Ross are put on them.
The two kinds of images, one reminds natural and another reminds artificial, are projected on the walls from the both sides. The audience come and go the winded spaces between the walls.

「…にもかかわらず」というタイトルは、「自然と人口は対立して見えるにもかかわらず」という言葉の繋がりから生また。「対立的に見えるものでも、それを包む関係がある。」という答があった。
Title of [NEVERTHELESS] was named of context that [nevertheless artificial and the nature seems to be opposite.] I was suggested there is whole relation even if it seem to be opposite in this exhibition.

全体設計

広報デザイン
「死ぬ瞬間」エリザベス.キューブラー.ロス著 から引用されたテキスト

死を恐れることはいらない。われわれが気にすべきことは肉体の終わりではない。それよりも、生きている間は生きること―おのおのが誰であり何者であるかの外面的定義づけに合うように工夫された前面のうしろに隠れて生きているような生き方に伴う死から、われわれの内的自己を開放すること、これがわれわれの関心でなければならない。この地上で生まれた個々の人間はみな、かつてこの地上にいた、あるいは将来いるであろう誰とも異なる、ユニークで特別な人間となる能力をもっている。しかしわれわれはともすれば文化が規定した役割期待と役割行動―それはわれわれ自身のものではなく紋切り型のそれである―の囚人(とりこ)になっている。囚人(とりこ)になっているだけ、われわれはそれぞれの自己実現能力を阻んでいる。われわれが成りうるところのものすべてに成るのを邪魔している。死は生のとびらへのカギだ。これらの外部から押しつけられた役割や期待を拒否する強さと勇気をみつけだすには、われわれ個人の存在の有限性を受容しなければならない。
E・キューブラー・ロス「続・死ぬ瞬間」より(川口正吉 訳/読売新聞社)

わたしも自分の生をそのように感じます。もちろん、わたしの全人生がとつぜんひっくり返った今、たいへんな調整が要ります。でも、あらゆることをいましたいというひじょうな強迫観念を感じます!あらゆることをする、たったいま!そのひとつは自由です。いま大きな自由ができた、これまで持ったことのない自由です。それをどう使うかわたしには見当もつかない。ですから、あらゆることをやってみようと思う。ですから、急がなければならないと思う。なにをするか決めなければならない。急がなければ!わたしの生活にある種の秩序をつくりださなければならない、そして安定した生が得られるようにしたい、人間として、ようやっとそこへ到着しかかっているという気持ち、それにはとにかくいろいろやってみなければならない。駝鳥のように砂のなかへ首をつっこんでいるだけではなにも達成されはしない、ほんとうに、なにがどうなるのか、どうすればいいのか、ひどくこんがらがった気持ちです。しかし、とにかくわたしの逝くときが来るまで、十分にわたしの人生を生きたい。ここへ飛行機で来るまでのあいだ、ずっとそれを考えていました。もしも飛行機が墜落したら?ええ、わたしにぴったりです。ほんとうに満足な人生だった、悔いるものはなにもなかった―だからですわ。
E・キューブラー・ロス「死ぬ瞬間の子供たち」より(川口正吉 訳/読売新聞社)

現在に浸みわたっている、急がなければならないという切迫感は、かくてゆったりとした遠近展望のなかに吸収されよう。あなたの消費できるいまの持ち時間を、いい加減に、たわいなく使ってしまわないことだ。時間を大切に、いつくしむことだ。一日がそれだけ新しい成長と洞察と目覚めとをもたらしてくれるように、いとおしむことだ。この獲得された成長を、利己的に使ってはならない。来たるべきもののために、未来の時の潮流のなかで存在してくるもののために、使うべきなのである。これまでに理解されたところへ、今日一日の理解が積みかさねられることなしに一日を経過させてはならない。一日一日を成長の道への踏み石にすることだ。しかし忘れてならないことは、着実な歩みを保持するために、必要なかぎりゆっくりと進むということである。エネルギーを無駄に消費してはならない。現在いまの幻想的な切迫感にまどわされて、あなたのヴィジョンから眼をそらしてはいけないということを。
E・キューブラー・ロス「続・死ぬ瞬間」より(川口正吉 訳/読売新聞社)

しかしわたしにとっては、恐怖はきょうのものです。死ぬことはいまなんです。あなたはそそくさとわたしの部屋へ入って、仕事を終えるとすぐに出て行ってしまいます。わたしにはあなたの恐怖が感じられます。わたしがやっぱり人間だからかしら?それからね、あなたの恐怖は、わたしの恐怖を高めるのよ。なぜあなたはこわがるんです?死ぬのはわたしじゃありませんか!わたしはあなたの不安定を感じ、なんといってよいか分からず、どうしていいかわからないでいることは知っています。でも、どうかわたしのいうことを信じて下さい、あなたがケアしているなら、間違うなんてことはありえないのです。だだケアしているのだとだけ認めて下さい、わたしたち死にゆく人間がもとめているものはそれだけなのです。わたしたちは、なぜとか、なんのためにとか、きくかもしれません。でもほんとうはその答えを期待しているのではありません。逃げていかないで―待って―わたしが知りたいことはひとつだけです。わたしにそれが要るとき、わたしの手を握ってくれる誰かがいるということ、それだけです。わたしはこわいのです。あなたにとって死はあたりまえになっていくでしょう。でもわたしには新しいことなのです。あなたはわたしの死をユニークとは見ないかもしれません。しかしわたしは前に死んだことはないのです。わたしにとって、一度だけというのはとてもユニークなことなのです。
E・キューブラー・ロス「続・死ぬ瞬間」より(川口正吉 訳/読売新聞社)