前に屋根を塗ってから、15年。人に任せるわけにもいかないので、自分達で塗る。さび落とし、錆止め、コーキング、本塗りと行うと、それなりの作業量。15年前との体力の違いを痛感。

妻も手伝う

梅の小屋には、榎倉省吾氏、榎倉康二氏という両氏と家族が暮らした記録があるのだが、作品はここには残っていない。両氏がここに暮らした記憶に関しても、それを共有出来る人は、私を含め少数しか残っていない。

梅の小屋は、人に見せる場所ではなくプライベートな空間、それも維持管理に改修を必要とする家で、これまでも来ると忙しく労働し、家が整ったら帰ることになるという生活を繰り返した。梅の小屋に関わる理由として、アトリエ利用ならば、あまりにも制作時間が取れていないため、作家としてはあまりメリットが無いのでは?と思われるかもしれない。しかし、記憶というものが、私にとっては大切なのである。

ここで過ごしていると、両氏の持っていた何かを空気のように感じ、それが沁みてくるように思う。

塗り終わった

現代美術は、個人に重きを置く。それぞれが違う考え、違うビジョンを作品化することが必然なら、人から人へと受け継ぐものではなく、模倣や継承を行うこととは意義を異にする。根無し草のように寄る辺なく漂うとしても、個を頼りにせざるを得ないというのが、アーティストたる条件だと思っていた。

でも、梅の小屋に関わり始めてから、そのような思いは変わっていった。


榎倉省吾氏の活動する姿は本から、榎倉康二氏は直接、また交流のあった人から見聞きした。両氏の作家性は高く、質の追求に対する姿勢も厳しい。それが私の中に流れ込んできて、私の見方、考え方にも影響を与えた。質の追及における厳しさは、作品に対する証と誇りだ。当然のように、批評や批判という視点が生まれてくる。

だが、自他ともに厳しく判定してしまうことは軋轢を生む。この頃は少し成長して、何時でも正直に伝えることは止めたが、それでも常に頭をもたげることには変わりはない。厳しい見方は多くの理解を得られにい。人を不快にさせると、妻からも小言を頂戴する。

それでも、両氏からもらった視座に違いはない。完全に肯定しようと思うし、忘れないようにしたいと思う。生きるためには、何の用もないような、人が生きてきた痕跡、見方、考え方といった空気のようなものが精神的支柱となったり、人の中身を作ることはある。要不要の前に、人は存在している。要不要や要領のいい生き方の前に、人が存在していたという記憶、存在感というものを肯定したい。