囲炉裏が出来てまもなく、灰を篩った記憶があります。それから、一度も灰を篩っていません。今年こそはと、決行しました。
一旦、灰を全部出して行きます。長期の滞在が無くとも、薪生活を12年以上続けると、灰はたいそう増えるものだと思いました。息子が、良く手伝ってくれました。改装後生まれた、息子の成長も実感します。
アトリエにシートを敷いて、灰を山盛りにします。計算すると、0.5リューベ以上あります。それを少しづつ篩っていくので肉体的にも大変ですが、全身および部屋全体がうっすら白くなりました。それを見て、女性陣は後ずさりしますが、洗濯や掃除は頑張ってくれました。

篩い終わった灰は、囲炉裏に戻していきます。篩い残って出てきたものは、大量の骨と炭でした。おおよそ、全体の2割ぐらいあったのではないかと思います。庭に撒いて土壌改良にしました。手羽を食べる毎、囲炉裏に骨を放り込んでいたからですが、鳥の骨拾いと散骨の様相も呈しました。
囲炉裏に灰を全部戻した後に、均します。これは、とてもアーティスティックで楽しい作業です。息子はいつまでも飽きずに、続けていました。
改めて囲炉裏に火を入れるのですが、綺麗になった灰に薪が映えて、一瞬オブジェのように見えました。灰は、空気を含んでふっくらとし保温性が高まったようで、火持ちが良くなったように思いました。
灰を篩うという作業は、とても「整う」感覚を伴うものでした。囲炉裏というものが、家の中心であった時代を思い起こすからでしょうか、もちろん今は珍しい作業であることは間違いないですが、なにか特別なものを感じました。良い、年末の大掃除でした。

最後になりましたが、榎倉省吾伝「心月輪」を執筆された、黄田 光氏が年末にお亡くなりになりました。謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。自伝としては、立派な作品を世に出されたと思います。私は近年、もの派を調べていますが、活動や記録を残すことも、大切な活動であると改めて感じます。