芸大のアトリエで、榎倉康二氏が亡くなったことを告げられた時は、文字通り雷に打たれたようだった。
火葬場まで付いて行き、骨を拾った。
同席していた教授がこぼした言葉からは、当時保守的だった芸大で、現代美術を根付かせようと懸命になって、軋轢を抱えていたことを知らされた。
多くの関係者が、その死を悼んだ。
私は、氏に教えを乞うために芸大に入った。多くの時間を共にしていただいた。
その分、その後は苦しかったが、今はその意味があったのだと思う。
妻である榎倉充代氏は、スペース23℃というギャラリーを運営し、今でも榎倉康二氏の作品を展示し、後進作家を助けている。
門下生は、それぞれ徐々に活躍の場を広げている。
氏の言葉を記述する。
榎倉康二の言葉
●予兆
彼の作品は、白と黒、厚みのある木材とキャンバスが、対峙している。
対立しているようでありながら、木材から染み出した油が、キャンバスに滲みを作る相互の関係性は、どちらが欠けても成り立たない。
そのような、それぞれの存在が対比し拮抗する、緊張した均衡状態は、それらが過渡期的な運動を、その一瞬だけ止めているような「動き」を感じさせるものである。
作品中には、次はこのような状態に変化するのではないか?という、予感や期待が内在している。
緊張した均衡状態が、予兆を生む。あるいは予兆を感じる、緊張した均衡状態を造り出す。
それが、氏が見ようとした世界である。
●不定の領域
彼の作品は、もの派の特徴でもある、物質というものの明らかな提示とそれぞれの対立に止まらず、それを超えた干渉領域、紙や布や壁に沁みていく油そのものが描き出す景色や空間を取り込んでいた。例えば、布と木材の両方に介在する、柔らかな有機的フォルムを持つ沁み滲みの表情、これが作品の魅力として大きな存在感を放っている。対立を超えて両者をつなぐ淡いでもあり、不可知の自然そのものの姿でもある。
それが不定の領域である。
あたかも、人工世界に挿入された自然世界。
あるいは、意思でコントロールする世界に対して、支配出来ないアンコントロールな世界が存在する。
氏には、そのような存在を、常に注視する眼差しがあった。
●開放
制度と言う言葉を、超えるべきものとして使われることが多かったように思う。
制度の規定あるいは常識から、ものが、空間が、飛び出して見える瞬間がある。
それを開放と言い、講評会でそう感じる作品を大変評価し、共に喜んでいらした。
作品の成立とは、過程を含めて、状態をずらしたり、越境したり、変質させたりすることで、ものの在り方が変化すること。
それは、それを見ている我々の認識が変化することでもある。
●存在の悲しみ
存在と言うものは、規定することで認知される。
それはありとあらゆる存在と言うものが、言葉、あるいは社会制度によって限定されるが故に、不可能性を持ってしまう。
それは、人間存在そのものをも指していたのかもしれない。
学生の前ではそれほど見せなかったが、等身大の人間として、悩み、あがいていたことを、後ほど知った。
ものごとは、必然的に変化せざるを得ない。
状態を変化させるのが必然なら、変化したものが元の状態に戻るのも必然。まるで、自分の限界を破って獲得したものが、いつの間にか元の状態に戻ってしまうかのような虚脱感。
ここには、進歩主義的アナーキズムであっても、距離を置くリアルな視点がある。
真摯に存在に向き合うリアリストでなければ、この言葉は生まれてこない。
開放と、存在の悲しみは、両義的存在である。
●感応→官能
ものを感受する。
そして、感じたことを受け止めて、応じること。
感覚だけではなく、肉体をともなう重要な言葉。
仏教用語では妙有といい、ものに心を通わせること、ものから心を受け取ることを指す。
官能という言葉は肉体的だが、ものの表情あるいは質感からエロスを感じることはある。
単に素材を扱うという機械的な受け取り方ではなく、ものは自分と心が通う存在であり、それ故、作家は独自の素材と表現を持つ。
ここには、東洋思想の示す、感覚と肉体が相互に関係する独自性がある。
●日常という重み
日常へと還元されることなくして、アートに触れる意味は無いだろう。
しかし我々は、その日常を超えるものばかりを、アートに望み、見ようとするかもしれない。
そうは言っても、宇宙という計り知れないものを、どのように捉えようというのか?
宇宙を捉えるとしても、物語、象徴として受け止めることしか出来ない。
そうであっても、今、ここにある自分と言うものが、リアルに感じられなければ、物語、象徴としての宇宙でさえ、全く響かないものになるだろう。
氏は、日常を、足の着いた状態であることを、大事にされていたように思う。
日常があるからこそ、非日常もある。つまり、日常生活があるからこそ、作品の舞台もあるというように。
作家が目指す視座があったとしても、日常という対立軸があるから、それが成り立つ。
日常性の中からでしか、日常を広げることも、可能性を示すことも成り立たない。
最後に、白州フェスティバルでの、氏の思い出。
毎晩の飲み会、喧嘩する作家たちを、「まあ座れ。」と落ち着かせたこともあった。
河原でのバーベキューでは、遊びながらも、ふいに写真を撮って、後にそれをしっかり作品にしていた。
美しい水に魅了された女性アーティストが目の前で、服を抜いて飛び込んだ時は、恥ずかしそうに顔を伏せていた。
フェスティバル立ち上げの頃は、まさに土方に明け暮れた鬼気迫る雰囲気だったろうが、私が参加する頃には、心からイベントを楽しんでいた様子だった。
氏は、強面の外見とは裏腹に、懐が深い、バランサーだった。
榎倉省吾氏の遺品より。榎倉康二氏の若き日の姿。