当時、ポスト・モダンという言葉が良く聞かれた時期、私もまた自分の中で、違う時代を自然に同時進行させていた。
軽く表面的に、現代美術の主流を知ったかのように思い、折衷する。
このような姿勢は、時代の軽みである。
混迷の時代には、自らの内面にも混迷が影を落とす。
自分のアイデンティティーがつかみにくい時代だったと思える。
商品としては当然なのだろうが、一つに絞ってトータリティを出す方法論は、その時代を逆に軽視しているようで疑わしかった。
ポスト・モダニズムとは、モダニズムの次ということだが、モダニズムの総括も出来ぬまま(出来なかっただろう)、新しいものを求めても、これまでのような斬新なものは得られないというどこか白けた否定感情と、それでも構わないじゃないかという楽天的な肯定感とが同居していた。
多くの問題点を棚上げして、後ろめたさを楽しさで打ち消そうとしているような、経済的には豊かで浮かれた時代だった。
この時代に登場したPCの存在、特にインターネットの影響は絶大だった。
登場した当初は、未来に対する明るい展望そのもので、それが時代に楽天的な希望を添えていたが、希望が潰えるのに長くは掛からなかった。
時代が軽くなるにつれ、内には暗がりを深める。