私がヨーロッパを旅した時に触れた感動的な空間があります。
一つは、ギリシャ正教会で深夜行われたミサのことです。
そのドーム型の天井の下で、多くのろうそくの光とその反射が内部に満ち満ちた様は、不思議な静寂をともなって神秘的なものに思われました。

またクレタ島中央の高地、町から27kmも離れた無人の地で、岩に囲まれた奇妙になだらかな平原を前にして月明かりのもと一人でたたずんでいた時、地球を覆う空とその平原は、巨大なドーム型に感じられたのです。

私はこの作品が88枚になるまで描き続けようと思っています。88という数字は、私が幼少の頃から連れられて回った四国八十八か所巡りに由来しますが、ただ思い出をたどるより、八十八か所を巡り寺社のサインをもらい続けるというストイックな行為性に対しての遡行を行いたいと思ったからです。

以上が、この作品を構成するテーマです。つまり88枚のドローイングは、ただただひたすらに行われるものとして自分に課したものです。(私自身の「祈り」の形、行為として)
どうしてこれを行うのかと問われたとしても、明確に答えることが出来ません。ただ自考のためとか、ギリシャ正教の僧侶の祈りの様に深くひたすらなる行為を、どうしても行いたくなったとかが唯一言える部分です。

宗教的な場を訪ねているうちに、多くの人々が古代から膨大な時間やエネルギーを費やして異なってきた祈りや想いは、形こそありませんが確かに実感できるものでした。また人々はそれら目に見えない精神世界をどのようにとらまえていたか、なぜそうまでして行われていたか、これらは私が強く興味惹かれているところです。

そしてそれに対して、現代社会の即物性を個のドローイングの対極として考えていきたいと思います。私は自分の中に、精神性と現代の即物性というものが同居しているのを感じることが出来ます。繰り返しドローイングを描いているうちに、その内的求心性によって、精神性と即物性という両社が明確になっていくこと、それが私の思いです。

 

「祈りの形」展に際して 歳森 勲