日常を巡る16の物語
シートによる作品
20㎝×20㎝×16
1998.8

説明
1、この作品は16枚の設定を連結して作る「迷宮」です。
2、最初は地下への通路で始まります。
3、次に自由にパネルを選び、順番に連結していきます。
4、最後は日常への通路で終わります。

博士論文のテーマを、もっと身近に体験できるよう作品化したもの。読者は、それぞれのパネルの設定を想像し、それぞれの「迷宮」を完成させる。

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001地下への階段「失うことをためらえば、また」
いつの間にこんなに壊れてしまったのだろうか。無くしたものを取り戻していくために、これからの総てを費やしても足らないだろう。

我々が得た世界と引き換えに失ったものは大きい。もう引き返すことは出来ない。もはや現実から目を背けることしか出来ないのだろうか?喪失感が常に身を苛む。

設定
開口部は、乱立した日常と同居するようにひっそりと置かれる。中央を貫く軸線、グリッドなどでは世界は成立していない。切掛けは「目立たずさりげないところ」にあまねく偏在している。「地下への階段」を、時間をかけて下降し地下世界へと向かう。それは同時に自己の内部深く沈降していくことでもある。

002分解の部屋「現実をどう判断していいのかわからない 」
世界を視ていかなれればならない。しかしその膨大さと複雑さに幻惑され、視線は宙を彷徨った。確かだと思えることがない。自分がどこにも属していないという不安感。

いつの間にか自分自身の在り方も判らなくなっていた。自分自身は自ら規定していくものでもなく、また他から規定されていくものでもない。

説明
16枚の鏡が4×4に配置され、各々がゆっくりと回転する。鏡は内と外の映像をばらばらに分解して合成し、観客は刻々と変化する迷路をさまよい歩く。それぞれの鏡は政治、宗教、民族、経済、科学、道徳、歴史などのカテゴリーとして象徴化され、それぞれの専門家の言葉が添付されている。

003雨の降る部屋「思い焦がれる前に裏切られている」
可能性を感じるのに疲れたとき、自分を隠そうと考えた。同化することで自身を保つため。

自らの存在さえ不条理によって成立しているという事実。苛まれながらもそれを受容するしかない。だから我々はどこか逃げ込む場を持っていないと自分を保てない。

説明
日常生活の場である部屋と道具が設定され、天井から霧雨が絶えず降り注いでいる。その煙った水滴に歩いていく人物がプロジェクトされる。

004喧騒と静寂の部屋「抜けられない穴」
眩い光と怒号、速度を上げる明滅、空間にどろりと溶け出す身体。地面がゆらゆらと燃え立つ。

我々は欲望を満足させる代わりに、自らの成立基盤を失った。物質の隙間に追い込まれ、精神と世界との反復運動を徐々に狭めている。自身を削りとられながらも後戻りは出来ない。

説明
ここで用いられる映像と音は、ラッシュや喧騒など都市の過密な状況である。映像と大音響は連動し、交互に暗闇と無音状態が現われる。その間隔は20秒から始まり、10秒5秒2.5秒1.25秒というように細分化されていく。 ついには闇と光は混ざり合い、また闇と静けさが空間を支配する。

005拡大と縮小の部屋「約束された場はもうない」
自分にこだわるしか無い。存在の証しをどこかに刻み付けたい。しかし圧倒的な複雑さを前にして、接点を見出すことは不可能に思えた。そして疑似自己世界に埋没する。

情報は彼方の世界を現実のものとし、同時に身近な存在から現実感を奪い去っていった。どこまでを信用し、どう距離をとればいいのか。客観はどこにも成立しない。自身と世界との関係を確認する努力が放棄されたとき、情報は暴力となる。

説明
中央から二つの映像がそれぞれ反対の壁面にプロジェクトされる。一方の映像は部屋を周回するカメラから鑑賞者を撮ったものであり、もう一方は常に動き回る交通機関(都市を周回する)から日常風景を撮った映像をリアルタイムに受信したものである。

006アリアドネーの糸「目の前にありながら、触れられないほど遠い」
美しいものには触れられない。近づけば逃げ、捕まえようとすれば壊れる。脆くて震えるように表面にまとわる光。

ここには優劣も作為もない。何かの基準を当てはめることも強引に掬い取ることも出来ない。自らの感覚を覚醒させること、そして 慎重に繊細にひたすら耳を澄ますこと。

説明
闇で覆われた空間にレーザー光線が照射されている。光線は壁面で複雑に反射されるが、全体を通じて一本である。鑑賞者は自身の体に当るぼんやりとした光を頼りに、方向を判断し出口を探す。床は緩やかな勾配が付けられていて、照らされる位置は上下移動する。

007光と水の場「永遠に止まっている」
斜陽が辺りを包む。いつだか忘れてしまったが、ここは確かに来たことのある場所だ。

既視感は不意に出現する。記憶の底に眠っていたものが呼び起こされたのだろうか?あるいは不可視の精妙な存在、光、物質などの記憶を感じたからかもしれない。既視感は日常に開いた異世界への窓である。

説明
階段を上り詰めると、白一色の空間が出現する。床には20センチ程の水が張ってあり、緩やかなスロープが水底まで伸びている。周囲は鏡で囲まれその角度は45度である。ここでは水と空そのものが身体を取り囲む。45度の鏡が空を取り込み、風による波紋が反射する。

008青の間「静かに醒めた力」
微かにたゆたう、朦朧とした、辺りを包む光。月の光が照り返し、茫洋と光っている。違う世界がすぐ傍にあるような気がした。

我々は世界を包んでいる自然のスケールを知覚することは無いし、それらが身辺にあまねく存在していることを意識することも無い。しかし重層した多元的な宇宙は「今ここから」繋がっている。

説明
鑑賞者はここで総ての服を脱ぎ、プールの中を通過する。天上やプールの底面は青く発光し、壁面も総て青く塗られている。 鑑賞者の皮膚全体から青が浸透する。

009列柱の間「包まれたこと、そして包むこと」
すすき野原に迷い込んだ。自分がどこにいるか解らないし誰に見られることもない。ふと子供の頃、夕餉を楽しみに家路を急いだことを思いだした。

否応なく孤独に追い込まれることがある。そんなとき自身を慰められる存在は結局自身でしかない。記憶を遡り出会いがあれば、戻ってきた場所は今までとは違っている。

説明
列柱は曖昧な視覚を演出する。整然とした空間から奥へ進むにしたがって、列柱や床が傾き規則性を崩していく。列柱の所々に記憶を呼び覚ますきっかけとなるテキストが添付されている。

010増殖の部屋「顔を失った我々」
突然都市の夜景が浮かび上がった。それは美しい風景でありながら、異様な圧迫感を持って目の前に広がった。その膨大なエネルギーは制御不能性をはらんでいた。

人間存在の総体としての力を、その圧倒的な貪婪さを否定することは出来ない。 誰もが自然は偉大だと言うだろう。だがこの光景に比べて自然は儚くはかない。

説明
発光体が床全面に埋め込まれ、それらは格子状に赤くゆっくりと点滅する。観客の踏んだ地点の発光体は点滅の速度を早める。

011森へ「ガラスの中のアダムとイブ」
眼前に広がった自然は美しく、触れることの許されない厳しい世界だった。そしてまた「自分がここで死んだところで、何も変わることのない」無情な世界だった。

我々は「自然」に対して他人であり傍観者でしかない。自らの生存のため「自然」を作り変え消費する以外術を知らない。しかしながら肉体の内側に広がる世界は我々の持つ確かな「自然」であり、人間は「自然」の一部と反自然を合せ持つ矛盾した存在である。

説明
壁面に囲まれた「自然」があり、その中央をガラス張りの通路が設けられていて、観客はそこを通過していく。ガラスは不意に扉となって通路を遮断する。外気に直接肌に触れたとき、私たちはどう感じるだろうか。

012過去の通路「在りし日の自分」
幼い頃住んでいた街では何もかもがよそよそしかった。でも確かにあの壁やあの道であることには間違いなかった。記憶の彼方には今とは全く違う自分が住んでいる。

思い出の世界は何処にもない。それをたぐる手がかりもまったく変わっている。そして「自分自身」も。その事実を突き付けられる時まで思い出はかつての姿を留める。今この瞬間にも世界は過去になり続け、過去は今に繋がっていく。感傷ではなく乾いたもの、ただそれだけのものだ。

説明
空間中央に壁面が連続し、そこには等身大の人物像が写っている。観客がその壁面の前に立つと、人物の映像は無音で笑いかけたりしゃべりかけたりしながら徐々に消えていく。平行して壁面は鏡へと変化し、人物像は観客自身の姿へと移り変わる。

013触覚のための通路「心の中にある廃虚」
死者に会った。その人の思い出を語り、その頃の自分に会う。その人の生が、自分の生に紡がれた。

死は日常に開いた穴である。その深さと暗さゆえ、我々は意識を吸い寄せられ、距離をもって自身の日常を眺める。そこでは記憶は新たな物語として受け継がれ循環していく。死は乾いた有りのままの存在である。そして意識を最も深遠な場所へと向かわせる絶対時間である。

説明
ここは闇に覆われた場である。通路は柔らかな形態を持つ壁面で構成され、それに触れ確かめることで移動していく。またなめらかで波のようにうねる壁面の感触は、胎内の記憶を生起させるかも知れない。
014破壊の部屋「不可逆」
感情の檻の中に閉じ込められ、抜け出す術を知らない。

些細なことでも、火は着き燃え広がってしまう。終には何が原因か解らなくなるほどに。我々は何時でも被害者となりえる。或いは加害者に。

説明
この通路では、様々な物質が変化する或いは破壊される様が逆回しで投影されている。また観客の行動が2秒間ずつの間隔で撮影され、その映像を逆回しにしたものが壁面に投影される。
015地層図書館「道程」
過去が今の自分を成り立たせている。歴史が今の世界を成り立たせている。過去を否定することはできない。失ったものを忘れることはできない。

歴史はその俯瞰する距離によって、人間存在を客観的に曝け出してくれる。どの時代でも同じようなことが繰り返されているという事実。

説明
出口は地面の高さにあり、全体の最上部に当たる。「日常世界」は、立ち戻るべき到達点となる。中央部は地層をそのまま残して柱とし、その周辺には階段や通路が張り巡らされている。鑑賞者は時には戻りつつ錯綜した周囲を巡回し、通路に配された本に目を配る。

016日常への通路「帰属しない、浮遊する自己」
「自分にとっていいと思うことが、人を傷付けてしまうことがあるかもしれない。それでも私はそれをやっていくしかないのだ。」と盲目の少女は言った。

混在する世界の中で、我々は何かの基準にしがみつこうとする。だが時間を掛けて積み上げたそれも、瞬時に崩壊する。脆く儚いバランスは存在の持つ必然である。それを突き動かすとき自身は内部から崩れる。その不可能性に気付いた時初めて、他を受容していくことが可能になる。失って初めて、生と死という大きな基準があることに気付く。

説明
周囲から様々な日常の要素を感じ取り組み立てながら緩慢に世界へ戻っていく。通路は長く伸び、緩やかな曲線を描きながら下っていく。周囲を遮断したトンネルで始まり、光や音が少しずつ流入して日常が露になっていく。そして真直な階段を降りきると、ごく普通の雑踏の中に出る。

(日常を巡る16の物語 終了)