祖父、宇津木 正は人格者で、幼少期から良く遊びに来ていた、私にとっての故郷「本庄」。叔母が一人暮らしをするようになって、家は朽ちて行きつつあった。東京から転居し、祖父の家を再興させ、自然にちなむ暮らし「百歳の森工房」をここから始める、という思いがあった。泊りがけで、土木工事をし、重労働を続け、2か月で整備した。しかし、ここでの活動は、残念な結果に終わる。

私の母親は叔母の後見人であり、叔母の財産には厳しい態度を取った。その内、私が叔母をだましてお金を巻き上げているとか、妻の家族が本庄を乗っ取ろうとしているなどという中傷が起こり、個展を目の前にするタイミングで、本庄を退去する旨をしたためた念書を、署名捺印することになった。

追い出す側には、宇津木敬子、歳森彰、歳森和子、重松睦子と連名があった。ここのオーナーであり、軽い知的障害を持つ叔母だけは、「こんなことになるなんで、思わなかった。勲ちゃん、ごめんなさい。」と言った。

ここはその後、400万で売りに出され、人手に渡った。
先祖代々墓は潰され、知らない寺に合葬された。
叔母は、施設に入った。
母親は、また一人暮らしを始めた。
兄は、離婚して一人暮らしを始めた。
その後、邑久郡本庄(現瀬戸内市)には、足を向けていない。

ほどなく、恩師榎倉康二氏の姉、黄田禎子氏の紹介により、小豆島「梅の小屋」榎倉省吾氏の家を整備することとなった。