Rain
紙、染料、顔料、その他
296cm×700cm
天神山文化プラザ企画展「素材をめぐる14人の方法」
2011/1/5 – 1/16

空中から吊り下げた和紙に、青い雫を垂らし滲ませていく方法を用いた。水の重力に従う水の垂直性が、今回の重要なモチーフ。恩師 榎倉康二ゆかりの小豆島アトリエ「梅の小屋」を改装し、そこで始めて制作した作品。

作品 部分 
広報チラシ
制作過程 小豆島「梅の小屋」にて

Workshop

「もの派」考
今回の「Rain」を制作した小豆島アトリエ「梅の小屋」には、「もの派」である故榎倉康二先生の文献が残っている。学生時代から20年余り、先生を含め「もの派」の作家達と交流した記憶が生々しく思い出された。

「もの派」とは、同時多発、自然発生的に起きてきた作家群の総称。1960年代より始まり、世界的に高い評価を受けた。その作家群の特徴は、物質の力を表現として強力に用いること。しかし物質的表現に主眼があったのではない。身体と物質、それを取り巻く環境との「関係」に表現の主眼があった。「もの派」の名前が「単一の=モノクル」に由来しているという一説があるが、素材の特性を引き出す以上に、肉体と物質と空間との「関係」に込めた、作家心情の吐露が根底にある。

重厚で肉体を酷使する表現が多いためか、作家は肉体的にも精神的にもガテンな人が多く、「解釈をなぎ払って存在そのものに迫る」厳しい作家が多かった。実力内容ともに、日本美術史の中で傑出したムーブメントだった。そして「もの派」の作家は、個別に親交する中で刺激し合い、それぞれの強烈な個性を育てたため表現内容は多様だ。「派」を立ち上げて皆が足並みを揃えたわけではなく、まとめ役の評論家峯村氏の定義についても、作家それぞれにある部分は受け入れ、ある部分は違いを表明している。実は「派」といっても曖昧だったそうだ。

「もの派」は、安保闘争の時代に生まれた。大量生産大量消費の中で日本が経済的に豊かになって行き、米ソ冷戦-核爆弾の恐怖に人々が怯えた、自分の拠り所がはっきりしない獏とした不安に包まれた時代である。若き「もの派」の作家達が、それぞれの存在理由を物質の存在に込め、体を張ってぶつかり手ごたえを求めたことが「もの派」の発端となった。精神を置去りにして物質主義に走った時代に、「もの派」の作家達は肉体を通して「物質に精神を込めようとした」のではなかったろうか。

「もの派」の作家達が、その激しい物質との対決から見出してきたものは、ジャンルや素材、定義、組織などとも関係ない、何時の時代でも何処の国でも共通するもの、個人の自由と感応道交ではなかったろうかと私は思っている。

ー文章 歳森 勲 展覧会カタログに掲載