還元 Reduction
SPACE 23℃ 東京都世田谷区 Setagaya-ku, Tokyo
2023.10.13 (Friday) – 11.5 (Sunday)

作品詳細 Detail








全9点 300㎜×300㎜×43㎜ ガラス、顔料、その他
●還元とは、平均化の作業を指す。
「生成する=塗り重ねる」に対して「還元する=削る、磨く」相反する行為が、作品に含まれている。
●アンビバレント=両極なものが同居する状態を指向した。
●作品側面は、ガラスの粒子や絵具の皮膜を剝き出しにし、パネルは厚みを持った白で、壁面と同化させ、皮膜を強調した。
●ガラスの、透明性と反射のきらびやかの反面、鋭利で攻撃的なアンビバレントさは、防御とも、コントロールできない剝き身の生や自然とも近い。ガラス片を様々な青と共に塗り重ねることで、研ぎ出し過程で出た粉末をも加え、固めては研ぎ出すこと、数十回。複雑な層から、予想を超えた青や奥行きを生まれた。

木馬
Photograph by Shiki Kurahashi
〇木馬は、「還元」作品に物語性を付け加える装置。
物語は、鑑賞者とのかかわりから生まれる。木馬に乗って、揺れながら行ったり来たりする運動は、成生(生)⇔還元(死)と重なる。
〇子供だけではなく、大人が乗ることが出来る。
〇小豆島・梅の小屋で制作、東京・榎倉家まで旅し、今はまた梅の小屋に戻っている。
〇所有者は、作者の娘。
●生⇔死という両極を強く感じさせたのは、コロナ禍の状況があった。人も死んで、元に還っていく。亡くなる人に対する喪失の悲しみを、そうやって紛らわせることもあった。では、生と死が循環するとは何か?生まれる前の場所に還るのだとしたら、元とは何か?この作品は、そのような深淵を考えることと同期していた。
●存在は、アンビバレントである。それぞれが全く別のもののように存在していても、その二つが強く結びつき関係を持っている。このことが具体性を持ったのは、ラピスラズリの原石の一面だけを、平滑に磨き出したことによる。
●自己と物質のせめぎあいは、「もの派」の核となる思考である。せめぎあいは、均衡点、境界といったものを強く意識させる。過程において、一瞬でも強く削りすぎると、ぼろぼろに表面が崩れていくことがあった。ここには、絵の具の固着力と、磨き出す力の均衡が、指先で常に起こり続けていたことを意味する。自己と物質のせめぎあいは、今、現実に、目の前で起こっていることだ。ここに、ものと身体との両方が確実に存在しているという確信がある。固めては削り出すという行為の繰り返しは、合理性という観点では説明できない。全部を磨き上げることが目的ではない。生成と還元の動的均衡である。
●「もの派」が物質と身体の関係性をテーマとし、その後登場した※「関係性の美学」により、次第に社会と直接、関係性を問うアートに塗り替えられていった時代を私は生きてきた。分かりやすく、具体性を持った行為芸術の興隆によって、近年、アートの持つ肉体がやせ細っていったように思える。アートの持つ肉体、それは物質の力でもある。このことについては、決着を付けたいと思う。
※「関係性の美学」ニコラ・ブリオー 1990年
●榎倉康二氏の造形における対立は、白と黒に代表される、鮮やかで端的なものだった。黒はタナトスであり、想像力の初源としてもあったことだろう。このシンプルで強靭な構成は、追随を許さないものとして、私の前に立ちはだかってきた。そのシンプルな強靭さに対して雑多さ、混沌に、やっと意味を見出すことが出来た。