梅の小屋を、私が「管理」することとなるきっかけは、不思議な縁でした。

私は、祖父の家をアトリエとして改装して使っていましたが、親族一同にそこを追い出されました。原因の多くは遺産処理らしいのですが、大きな原因の一つとして、この年に結婚した妻との、夫婦の姓にまつわる問題があったようです。それから私は、夫婦別姓に賛同する、明らかな根拠を持つ人間の一人となりました。また、2009年秋、秋山画廊での個展を予定していました。新婚生活は、個展用の作品に、生活空間の半分以上を占拠されながらのスタートとなりました。

秋山画廊での個展開催前、DMを配るために東京藝術大学を訪ねた折でした。坂口寛敏教授(当時)に会った際、「小豆島の別荘管理を委託されたが、芸大としては対応出来なかった。あなたは榎倉先生と大学院、博士課程と付き合いも長いし、小豆島は岡山から近い。管理をしてみてはどうか?」という話を頂きました。即答で引き受けることをお伝えし、直ぐにオーナーに電話をし、個展期間中に直接お会いすることが出来ました。

ここのオーナーは、黄田 照光氏、禎子氏ご夫婦です。黄田 照光氏は、「心月輪」という榎倉省吾氏の足跡を記した本を出版されました。黄田 禎子氏は、榎倉省吾夫妻の長女、榎倉康二氏のお姉さまです。梅の小屋は、アトリエとして、美術関係の人に使用して欲しいと、かねてから思われていたそうです。

小豆島は、私も香川県高松市で幼少を過ごし、度々訪れました。また学生時代に、榎倉康二氏をここで訪ねたことや、大学院で親しくした三好康平氏(急逝)の郷里でもある、思い出深い土地です。

息子・榎倉康二氏が作った、父・榎倉省吾の碑があります。碑という文字に、そこに込められた思いを感じます。

当時の、アトリエ風景が生々しく残っていました。榎倉省吾氏、榎倉康二氏という美術家の歴史を感じました。

榎倉省吾氏の描きかけの作品や、妻の千代氏が描いた作品も残っていました。

千代氏は、省吾氏没後しばらく一人暮らしをなさいましたが、東京の親族に引き取られました。

梅の小屋は、当時の生活感を残したまま、長らく無人になっていました。