扉写真は、梅の小屋にあった、榎倉康二氏の作品掲載紙一覧

以前、榎倉康二氏の、美術書掲載文をFecebookにアーカイブした理由をお伝えします。

榎倉省吾氏も、榎倉康二氏も、著名な美術家です。「梅の小屋」の蔵書には、榎倉省吾氏が亡くなるまでの、榎倉康二氏の記事が掲載された美術書がそっくり残っていました。榎倉省吾氏と、榎倉康二氏の、父と子の親愛の情と、お互いに刺戟し合う心情を、容易に想像できる出来る資料集でした。私は、改めて、榎倉康二氏の歴史を含めて勉強しようと思い、その書類を読み始めました。

榎倉康二氏の、美術書掲載文をFecebookにアーカイブした引き金は、岡山のある美術家が「もの派」のパロディーをFecebookに掲載し始めたことでした。榎倉康二氏の作品に代表される表現は「沁み」「滲み」ですが、その投稿では「電柱に犬が小便した痕跡」がパロディとして掲載されていました。

パロディというのは、本家本元が訴えるぐらい腹立たしい(痛いところを突いている)ものでなくてはならない、そういう意味では良いパロディかも知れませんが、内容としてあまりにも下品で、これでは誤解を生んでしまうと危惧しました。しかし私が記事の撤回を要求するのも筋違いですし、対抗措置として私も同様に、Fecebookで美術書掲載文のアーカイブを投稿することにしました。勝手ではありますが、御本人が蔵書していた本に、御本人が掲載されていた文章を、御本人が地権者であった「梅の小屋通信」で発信するということで、今更ながらですが、出版関係者の方々には御了承いただければ幸いです。

しかしアーカイブにするために、本全体を更に読み込むと、私の知らなかったことが多く見つかりました。
●「もの派」は、作家によって様々な考え方があること。
●「もの派」は、様々な受け取り方をされていること。
●「もの派」は出てきた当初、攻撃対象であったこと。特に絵画系のギャラリーから、反発されていたこと。
●「もの派」を擁護した評論家は、新機軸を打ち出すために、「もの派」を野心的に利用したこと(これは評論家にとって普通のこと。しかし、それまでの評論家との闘争も始まる。)。
●「もの派」の後進作家、榎倉康二氏に習った「ポストもの派」作家でさえ、「もの派」との差別化を主張し、「もの派」を攻撃対象としたこと。
●その後に登場した私と同世代「ポスト・モダン作家」たちも、「もの派」を攻撃対象としたこと。

最初の、日本独自の現代アートと言われる「もの派」の内幕、寄ってたかって叩かれた訳です。美術史における個々人の感情的ぶつかり、理念の反発は生易しいものではありません。新しいものの出現は、そのまま、これまでの作品に対する否定や攻撃になっていくのです。
表現の現場は、ぶつかりを繰り返しながら、摩擦熱を帯びて歩む。大きくは「表現の自由」に包まれているのですが、一作家の心情としては、様々な毀誉褒貶の中で、厳しい思いを抱え続けて来たのだろうと思います。榎倉康二氏の言葉で言えば、「存在の悲しさ」という言葉がこの頃とてもしっくりと感じられます。

私にしても、榎倉康二氏の考えや「もの派」のことを知って頂きたいという思い一点なのですが、売名行為と言われたり、美術をせっかく一般に分かりやすく噛み砕いてきのに、それををまたひっくり返すのか?とお叱りを受けたりしました。損か得かというと、得なことは何もないのではないか?と思いますが、損得で割り切れないものが私には有ったのです。しかし情報を垂れ流し、料簡の狭い人たちに誤解を生み続けることは得策とは思えなくなり、アーカイブは終了しました。ご興味のある方は、直接、ご一報ください。