小豆島アートプロジェクトのお手伝いを、2011年5月より2011年12月まで行いました。
小豆島アートプロジェクトのことは、これまで沈黙して来ました。

事の発端は、保科豊巳氏に頼まれたことでした。
最初はお断りしましたが、御大将自ら梅の小屋にいらして「ちょっと、手伝ってよ。」とおっしゃられますので、断り切れませんでした。小豆島アートプロジェクトは、香川県と東京芸大のトップダウンで、予定、予算、作家選定までは既に決まっていました。

頼まれたことは、
●アーティストインレジデンス作家のバックアップ
●過去参加作家の、展示作品を今後どのようにしていくかという相談
●東京芸大の油画科、デザイン科、2教室の大学院生及び助手が、夏休みを使い行う制作展示のバックアップ
要は、これから始まる現場を、補佐して欲しいということです。

頼まれた直後、東北大震災が起こりました。この時は、このプロジェクトは流れるかも知れないと思っていましたが、公共では、一旦予算の付いたものは予定通り行われるもののようです。

ゼミのようなものかと、高を括っておりましたが、蓋を開けたらとんでもなかった。
東京藝大、香川県、小豆島町、参加作家、それぞれプロジェクトに対する期待値は高いのですが、肝心の、それぞれの連携が不十分、責任の所在もはっきりしていませんでした。参加作家に関しても、7月1日~8月13日という期間で、初めての土地で、ぞの場の材料を使って作品を作り展示する訳ですから、条件は易しくありません。
作家と展示場所、材料などのマッチング、チラシ、リーフレット、ホームページの作家別データ収集は、HPを作ってSNS連携を取りました。

それでも現場では、突発的な仕事が、次から次へと湧いてきました。PCに張り付いて、関係部署相互の連絡を取り、車で走り回りました。

柚木島 柚木恵介

このような状態で、一番危惧されるのは、重大事故です。途中何度かヒヤリとすることはありましたが、無事通過出来たのは、運が良かったのだと思っています。
良い作品もあったので、そのことに触れないのは、作家に対して申し訳なく思いますが、私としては、運営サイドの構造的問題に苛まれたことが、記憶の中心を占めています。写真で少しだけ触れさせていただきますので、ご容赦下さい。

佐藤 隼 作品

2011年12月、関係各所に提言書を郵送し、私と小豆島アートプロジェクトは関係を終えました。
提言書では、上手く行かなかった点を、箇条書きで並べ、改善案を添えました。上手く行かなかった点は多く、「告発」のようになってしまいましたが、私は正直をモットーにしておりますし、東京芸大=出身校、香川県=生まれ故郷、小豆島町=梅の小屋のある地域というように、「深い愛」がありますので、黙って見過ごす訳には行きませんでした!

2011年以降も、小豆島アートプロジェクトは続いていましたが、重大事故が起こり、プロジェクトはその後、聞こえて来ません。このことを受けて、私の提言書は、役に立つことが無かったのだろうと思っています。

かかしづくりワークショップ 東北の小学生を招いて

提言書の件を虚しく感じ、今まで沈黙を続けてきましたが、これは私の独りよがりだと思うようになりました。データは、今も保持していますので、参考になさりたい方はお申し出ください。